今日は午前中から忙しさに溢れていた。
最初は叔父の家に訪れ、宝飾市の出店場所から出品する貴金属や宝石の総数、それから同業者である友人の人数や連絡先まで、揃えられるデータというデータを集める作業から始まった。
他にも輸送経路や手段、出店に向けて集められる人数など、思った以上に話す内容が多く、一段落した時には時刻は既に午後1時を回っていた。
「出店という言葉だけでは簡単そうに思えましたが、実際は前準備だけでもこんなに大変なんですね」
「なぁに、慣れればどうということはないよ」
出前で頼んだ寿司をつまみながら、結構大変な事を申し出たもんだと、若干後悔してしまった。
やっぱりな、と言わんばかりに叔父が笑う。
「有言実行というものがいかに尊いか分かっただろう?」
「そうですね。でも、もう賽は投げられてますから。頑張ります」
出前の割には美味しいサーモンの握りを堪能しながら、意気込みをアピールした。
「そういえば、弘喜」
「はい」
「お前、コレとか出来たのか?」
そう言い、叔父や右手の小指だけを突き立てた。
「またからかうんですか。もうずっとフリーなので、すっかり慣れちゃいましたよ」
「そろそろ嫁さんが欲しいとか思わんのか?」
「そうですね、風邪引いた時に看病してくれる人がいると助かりますね」
愛想笑いでごまかす。
「やはり同じ血を引いているだけあって、私もお前も変わり者だな」
午後は前々から約束していた、大学時代の友人と一緒にビリヤードを打ちに行くことになった。
駅から徒歩7分ほどの所に総合アミューズメント施設があり、そこではゲームセンターからボーリング、そしてビリヤードや卓球まで出来ると聞き、僕は駅前の改札口で待ち合わせをした。
午後3時5分。白と青のチェック柄のシャツとジーパンといった軽装で彼は来た。
「いやあ、遅刻してすまない」
「僕も今さっき来たところだよ。それにしても変わらないな、隆史は」
「そういうお前もだよ。2年も経てば変わると思ったけど、やっぱり2年程度じゃ駄目か」
「それじゃ僕が駄目な人間みたいな言われ方をされてるみたいじゃないか」
隆史は大袈裟に笑った。
「悪い、悪い。そういうつもりじゃないんだけどな」
隆史・・・真辺隆史は大学時代の同じ学部で知り合った友人で、政治経済学部というお堅い学部のせいか、よく一緒に社会情勢や景気についてディベートを重ねた事もあった。4年前に結婚したらしいが、その時僕は地方へと単身赴任をしていたので、結婚式に参加することは出来なかった。
「そういえば結婚してもう4年経つみたいだけど、順調なの?」
「そうだな、良くしてくれてると思う。俺みたいな偏食家の為に朝食も毎日和食を用意してくれてるし、まぁ自分で言うのもアレだけどさ、良く出来た嫁さんだよ」
「結婚か。僕も少し考えているんだけどね」
「相手は?」
「まだ」
僕達はアミューズメント施設に向かいながら話を続けた。
「相手もいないのに結婚を考えるとは、お前らしくないな」
「それ以上に隆史が結婚出来た時点で、隆史らしくないと思ったけどね」
「余計な一言も相変わらずだな」
「お互いにさ」
ビリヤード場は若者のカップルしか居ない、実に恨めしい場所となっていた。
8テーブルあるうちの4テーブルがカップルで埋められていたので、一番右奥にある静かなテーブルを選択することにした。
隆史がシートに名前を書いている間に、僕はキューを2本を選び、それをビリヤードテーブルの上に置いた。それから店の入口に備え付けてある自動販売機で缶コーヒーを2本買い、ボールとラックを持って来た隆史に1本手渡した。
「ナインボールでいいか?」
「勿論。1セットにつき500円でどう? ただしプレイ料金は割り勘で」
「いいね。それでいこう」
まずはバンキングで先行後攻を決める。バンキングとは手球と呼ばれる白い球を撞き、一度奥のクッションで跳ね返った後に、より手前のクッションとの距離が近い方が先行後攻を決められるというルールだ。
隆史はこまめにキューをチョークへと擦りつけ、「最初の一打が一番大事だからね」と、その闘志を明らかにした。
「それじゃ、いくよ」
同時にバンキングを開始する。互いの手玉がほぼ同じ速度でクッションに当たり、手前に戻っていく。だが、手前に戻ろうとする手球の速度は明らかに違いがあった。球の重心のやや下側を的確に撞いた隆史の方が勢いを止めず、手前のクッションから5ミリほどの位置でピタッと止まった。僕の方の手球は戻る途中で球速がみるみる衰え、半分ほど過ぎたところで一気に失速して止まってしまった。
「んじゃ、先行で」
「先行きが不安になるなぁ」
1から9までの数字が書かれた球をラックに組み、僕はテーブルの中央に並べた。
相変わらずチョークを入念に付ける隆史は「見てろ」と自信ありげに言い、
「ブレイク!」
全力のブレイクショットが1番ボール目掛けて、烈火の如く駆ける。
しまった、と僕は後悔した。ラックの組み方を緩めにしていたせいで、全てのボールが思った以上にラシャの上を走って行く。
中央に位置している9番ボールが5番ボール、8番ボールへと角度を変えながら衝突し、そのままポケットへとインしてしまった。
「まずは500円っと」
あっけなく1セットを取られてしまった。
久しぶりに見る隆史の目は、昔とは変わらない勝負師の目になっていた。
「うかうかしてられないな。僕も頑張らないと」
「勝負は全力でやるもんだからな、遊びといっても俺は真剣だぜ」
僕は缶コーヒーを一気飲みし、軽く両頬を叩いてから再びラックを組み始めた。